「偉大な主・高橋信次先生に捧げる感謝と誓いのことば」


大阪地区 E.T

 この度は、貴重な体験をさせて頂きましたので、今までの経過をまとめさせて頂き、私の間違った思いと行いについて、反省させて頂いたことをご報告させて頂きます。

 実は、この4月25日(日曜日)、私は、早朝より外出して帰路に着いた午後3時ごろ、急に胸と背中の両方から締め付けられるような痛みに襲われました。それは、今まで一度も経験したことのない苦しい痛みでした。

 やっと家に着き、体を横にしていましたら痛みも取れ、ほっとしましたが、念のために近くの病院で胸部のレントゲンを撮って頂きますと、写真を見て驚いたのですが、右肺の3分の1位が真っ白になっていたのです。

 病院の先生のご説明では、心臓が肥大(心臓筋肉の膨張)して肺を圧迫しているのではないかということで、早急に、総合病院に行って検査を受けてくださいと言われ、大阪のK病院に予約を入れてくださいました。

 近年、私には、不整脈があり、階段の上り下りにも息切れはありましたが、心臓に何か原因があろうとは思わなかったのです。

 今から15年〜20年程前に、夜中に胸が締め付けられるように痛くなりました。その時、近くの病院の先生は、少し心臓が肥大していますからと、ニトロ舌下薬を処方してくださいました。

 しばらく服用していましたが、その後、胸の痛みも消えましたので気にせず通院もしなかったのです。

 この度は、先ほどの病院の先生に予約を取って頂き、大阪では名医として評判の高いK病院で5月21日に検査をして頂きました。心電図、エコー検査等をして頂いたのですが、不思議なことに、本当に不思議なことに、検査に異常は認められませんでした。念のために、体に付加を与えて再度検査をして頂きましたが、正常で何の心配もありませんとのお言葉に、私は、ホッと一安心をしました。

 そこで、なぜこのような事になったのか、と真剣に反省をさせて頂きましたところ気が付いたことがありました。

 話は昨年の3月にさかのぼりますが、久しぶりに会いました姉が「認知症」にかかっていることが分かりました。

 話の筋が通らない、一時前の話も忘れ、簡単な文字や計算も出来ないという状態で、自分勝手なことばかり喋り、弟や私に不快な感じを与えるのでした。

 また、昼夜の別なく電話をかけてくるので、ほとほと困りました。「認知症」だから仕方がないと思いながらもついつい腹が立ち、きつい言葉で姉を叱ってしまっていたのです。そして、ついに多額の現金を持ち歩き徘徊が始まりました。

 姉のこのような状態を見まして、私はこの「認知症」だけには絶対になりたくないと思いました。

 そして、愚かにも、自分が死ぬ時は、心臓マヒにでもなって死ねたらいいなァ、などと思うようになり、弟たちや、人様にも話してしまったのです。

 八正道という、尊い御教えを学ばせて頂きながら、何と、何と恐ろしい思い、そして、何とおぞましい言葉を口にしてしまったのか。

 私は、神仏様を冒してしまいました。何という愚かな人間なのか、愚かという言葉では片づけられない自分の姿に唖然としました。

 正法にご縁を頂き何年にもなりますのに、八正道の何一つも実践出来ていない私がここにいました。

 大宇宙大神霊・仏様、本当に、本当に申し訳ございません、何卒愚かな私をお許しください。心からお詫び申し上げます。

 そこで、私は、基本に戻って、丸山先生より、今日まで頂きました、尊い、貴重なご指導を振り返り、反省させて頂きました。

 私は、今から、約18年前、平成4年3月8日、偉大な主・高橋信次先生の御教えにご縁を頂き、大阪の堺市で開催されました、第1回大阪地区学修会に参加させて頂きました。

 この度、金沢から、丸山弘先生がおいでくださり、大切なお話しをしてくださいますので、是非ご参加してくださいと、N.Y様よりお誘い頂きましたのが、ついこの間のことのように思い出されます。

 そして、偉大な主のご著書をご拝読され、ご講演テープをしっかり拝聴されてから来てくださいとお話しくださいました。

 早速、ご著書を拝読させて頂き、ご講演テープを拝聴させて頂きましたところ、何故か分かりませんが、涙が溢れて止まらなくなったことを覚えております。

 悲しい言葉など一行も記されていないのに、一言もお話しになっておられないのに、何故どうして涙がこぼれるのか分からず、私は不思議に思いました。

 そして、大阪の堺で、初めてお話をしてくださいました、丸山弘先生の優しい、慈悲溢れるお言葉をお聞きいたしまして、何も分からない私は、神仏様のようなお方様とは、このようなお方様かも知れないと思いました。そして、偉大な主・高橋信次先生のご著書を真剣に拝読し、ご講演テープを拝聴させて頂いた時と同じように涙がとめどなく流れました。何も悲しいお話をなさっているわけでもないのに、どうしてお二人の先生のお話に涙が出るのか分かりませんでした。

 学校の先生、ご両親様からもこのような優しいお言葉を聞いたことはありませんでした。その涙は、悲しいから出る涙ではなく、何か不思議な涙でした。

 それから毎月、丸山先生には、金沢より大阪にお越しくださいまして、正法の一からご指導くださいました。初めの頃は、何をお聞きしましても、ただ涙が出るばかりでした。

 そして、私が最初にご指導頂きましたのは、他力信仰をしていること、これを神仏様にお詫びをしてください、とのご指導をしてくださいました。

 その頃の私は、近隣の神社、仏閣によく出かけ、また遠くまで足をのばし、参拝に行くというようなことをしておりました。特に信心をするのではなく、美しいお庭を拝見しに行っていたのです。

 丸山先生には、正法を一生懸命勉強すると、今までお参りしていた神社、仏閣には自然に行かなくなります、とお教えくださいました。

 2〜3年後にふと気が付いた時は、いつの間にか神社、仏閣にお参りをしておりませんでした。

 今までお参りしたところを思い出し、名前を読み上げ、間違ったもの、信じていたことを心から、神仏様にお詫びをさせて頂き、二度と他力信仰をいたしませんとお誓い申し上げました。

 どうして、あのようなことをしていたのかと反省しますと、神社、仏閣に参拝し、祈願すれば、心の中の悩み、苦しみを取って頂けるのではないかと安易な考えからの行動でした。

 丸山先生にご指導頂きましたのは、「神仏様に、ただ、お祈りして、悩み、苦しみが解消されるものではありません。どうして、その苦しみ、悩みが生じたのか、その根本を取り除かない限り、又その芽が芽生えてくるのです。しっかり、何回もご著書を拝読してください」とお話くださいました。

 自分の力で解決しようと努力もしないで、神仏様に縋るという、他力の思いに気付かせて頂きました。我が家のしきたりで、神仏を拝み、供物を上げるものだと教えられていたのです。愚かな、愚かな間違った考えでした。

 偉大な主のご著書を、幾度も繰り返し拝読させて頂き、偉大な主には、「神仏様は、己の心の中にあり、この大宇宙、大自然の慈悲と愛こそ、神仏様のお姿である」とお導きくださっておられます。

 偉大な主の御教え通りだと学ばせて頂きました。

 知らなかった事とは申しましても、間違いをしてしまいました事を深く、深く神仏様にお詫び申し上げ、心から反省させて頂きました。

 次に、丸山先生がご指導してくださいましたのは、「ご両親様の反省」でした。それは、「生れてから今日まで、ご両親様にして頂いた親の愛に対して、どれだけお返しをしたかということです」と、お導きくださいました。

 私も、一通りの反省をさせて頂き、感謝は申し上げたのですが、深い反省は出来ておりませんでした。私は、ご両親様に対して、何一つお返しもしていませんでした。

 母より聞かせて頂いたことですが、私の父は、人生の途中で失明をするという大病を患い、それから、毎年のように、大きな病気をして苦しんでおられました。

 母は、幼い子供達を育てながら、父の看病に明け暮れて、大変なご苦労をして来られました。

 一家の大黒柱が倒れましたので、経済的にも大変苦しく、それでも母は、田畑の仕事と子育てと、手すきの時間も休むことをせず、縫物などをして、家計の切り盛りをしてくださいました。

 私が夜中に目を覚ました時も針仕事をしている母でした。お母さんは何時寝ているのだろうかと思いました。私は、幼い頃、母の寝姿を見ることはありませんでした。

 父は、目が悪くても、田畑の仕事は全部してくださったのです。速くはありませんでしたが、普通の人と同じように、何でもしてくださいました。

 目が不自由な父も、自分のあるだけの力を出し切って、お働きくださり、母と力を合わせて、私たち5人の子供(1人は亡くなりました)を大切に育ててくださいました。

 そのような苦しい中で、親の苦労を見て育ちましたので、私は、あまり我儘なことをいう子供ではなかったと思います。

 普通の家庭の子供であれば、20歳ぐらいまでは親の傍で成人し、それから一人立ちするのでしょうけれど、家庭の事情や、戦中、戦後の厳しい時代ということもあり、姉2人は早くから働いてくださいました。

 私は、2人の姉のお蔭で、割合、恵まれた生活をさせて頂いたように思います。

 ご両親様を思い出すたび、頭をよぎりますのは、ご両親様には、本当に、ご苦労の連続であったと思います。

 ご両親様には、何か楽しいことがあったのだろうか、私の知る限りでは、苦労に、苦労を重ねてくださったのがご両親様ではなかったかと思います。

 父は息を引き取る前に、母に対して「お母さん有り難う」と言って亡くなったとのことです。大変な苦労をかけた母にお礼を申されたのだと思います。

 その母も30年余り前に他界しましたが、死の直前、2人の弟夫婦と孫たちに「今、ものすごく美しい所に行ってきた。今まで見たこともない美しい花が咲いて、名前も知らない美しい蝶々や鳥がとんでいた。あァ……、夢やったんやね、目が覚めんかったらよかった。惜しいことした」との言葉を、枕辺の2人の弟と、幼い孫達に残し、安らかに息を引き取られたと聞かされました。

 母が生前、私達によく言っておりました言葉は「兄弟姉妹は、仲良く助け合って暮らして欲しい」と口癖のように話しておりました。

 今回、私の姉は「認知症」になり、いろいろ暴言を言い、昼夜の別なく電話をして来られ、弟と私はほとほと困りました。

 一時前の話も忘れ、計算も出来ないという状態で、自分の思ったまま,勝手なことを喋り、私達に不快な思いをさせました。「認知症」という病気だから仕方がないと思いながらも、つい腹が立ち、心無い、きつい言葉で姉を叱ってしまったのです。

 そして、徘徊が始まりました。この姉の病状を見て、私はこの「認知症」だけにはなりたくないと思いました。そして、愚かにも、自分が死ぬ時は、心臓マヒにでもなって、コロッと死ねたらいいな、などと思うようになり、弟たちや、人様にも話してしまいました。

 今生、この地上界に、尊い命を神仏様より頂き、出させて頂いたにもかかわらず、神仏様を冒する思い、行いをしてしまいました。そして、ご両親様に対して悲しませるような事をしてしまいました。本当に申し訳ございません。心から、深く、深くお詫び申し上げます。どうかお許しくださいませ。

 先月、4月25日、急に私の胸が痛み、どうなるかとビックリし、この胸の痛みで反省をさせて頂き、気付かせて頂きましたのは、母の言葉でございました。

 「兄弟、姉妹は仲良く、助け合って暮らして欲しい」と、口癖のように言っていた、母の言葉です。

 「認知症」の姉が疎ましく、面倒で、つい冷たい言葉で突き放すようなことをしてしまいました。亡き母には、このような私の姿を見て、さぞ嘆き悲しんで、涙をこぼしていることと思います。

 手先の器用な姉は、私にいろいろな服を作ってくれたり、セーターを編んでくれたりして着せてくださいました。今までの姉の深い愛情に心から感謝し、今まで私が行った愚かな思い、行いを心から、お詫び申し上げます。

 これからは、私の姉がどのような話をしてきましても、姉の心の中にある、苦しみや、淋しさを聞かせて頂きます。

 最近は、姉も落ち着いて来られ、以前のような混乱した電話をして来ることもなくなりました。

 姉は、自分の身を以て、私に反省の機会を与えてくださったのではないかと思います。

 私は、これからは、近くに住むものとして、せいぜい、姉の所に通い、話し相手をさせて頂くことが、一番大切だと思っています。

 そして、私自身の精進努力によって、子供のいない姉夫婦が、優良な老人介護施設に入れて頂けるものと思います。

 亡きご両親様が、私達、兄弟姉妹のことで心を煩わせないようにいたしたく思います。残った者が病気を患い、いがみ合っていては、亡きご両親様を苦しめることになります。

 本当の親孝行、ご先祖様のご供養は、残された者が幸せに暮らし、亡くなった人の心を安心させることだということを、いま改めて気付かせて頂きました。

 今まで、姉のことを面倒だと思い、冷たい言葉で叱ってしまった姉の心に対して、深く、深くお詫び申し上げます。

 心と行いの伴わない心の曇った私が、どれだけ「心行」を唱えさせて頂いても、駄目だと思います。

 再度、丸山先生からご指導賜りました「ご両親様への反省とご供養」を、今まで以上に、実践させて頂きます。

 そして、姉への感謝と、「健康祈願文」を欠かすことなく祈らせて頂きます。

 この度は、初心に戻り、「丸山先生のご指導通りに実践することの大切さ」を、改めて気付かせて頂きました。

 丸山先生、今後は、心で思うこと、口に出して語る言葉は1秒、1秒、よく止観して、間違いを起こさないようにしてまいります。

 そして、常に、心の中に八正道の御教えを物差しとして、これからの大切な日々を送らせて頂きます。

 偉大な主・高橋信次先生の尊い、尊い御教えによってお救い頂きまして、本当に有り難うございます。心から、心から感謝をお捧げ申し上げます。

 そして、この度は、愚かな私に、これからの人生最後の磨きをかける、反省のチャンスをお与えくださいまして、本当に有り難うございます。心から御礼申し上げます。

 丸山先生には、何時までもお元気に、私達を温かくご指導して頂きますよう、心からお願い申し上げます。

   (大阪府大阪市・主婦)





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